水子の存在は古くからあった。現在のような人工中絶がない時代でも流産死産はあったし難産で母子ともに死ぬ事もあった。そして昔の人は水子に対しても認識が深く位牌を作ったり墓を作って供養している。ところが近年医術の発達とともに人工中絶が一般化したために新しい形の水子が誕生することになった。そして医学の進歩とともに人工中絶を安易に行い苦痛も伴わないところから、小さな生命の存在をモノのごとくに考えてしまい、親として子に対する愛情を失ってしまったわけである。悲しいことであり恐ろしいことである。ところで、この水子供養を多くの人が「たたる」という感覚で受けとめ、恐ろしいことのように感じているのは遺憾である。因果関係からみれば「たたる」ということに似た現象が起きることも時々あるが、「たたる」から「たたらない」からということで供養するものではない。水子・子供供養は親の愛情から親の当然の役目として義務として、心から行うものである。
人間の生命は地球より重いといわれるが、まさに水子・子供供養というものは生命の尊厳に関わるテーマである。
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